きいろ月報

本は年に200冊/紅茶/ヨガ/香水初心者/7y+27w

月報(11月)

傲慢と善良/辻村深月 を読んだのを機に、10月以降少しずつ辻村深月作品を読み進めている。

11月は今まで気になりつつ手に取らなかった「スロウハイツの神様(上、下)も読めた。上巻、下巻ともなかなかボリューミーで、万が一入院したとき用にキープしておこうかとも思ったけれど、うっかり手に取ったら二日で読み切ってしまった。

特に下巻後半の伏線回収のオンパレードはお見事で、読後も爽やかな気分になる作品。未読の方は是非!

 

辻村深月作品、読めたのは下記

・傲慢と善良

・つなぐ

・噛み合わない会話と、ある過去について

・光待つ場所で

・青空と翔ける

スロウハイツの神様(上、下)

・鍵のない夢を見る

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人の傲慢さ、自己陶酔、卑下と自尊心、執着心…、自分にも心当たりがあるようなエピソードが散りばめられていて「そのモヤっとした感情をストレートに言語化されるときつい!」と目を覆いたくなるような部分も多々あるけれど(特に、傲慢と善良、噛み合わない会話と…)、それでも救いを求めて読み進めてしまう。読者自身がズシンとなった上で自分で考えていかなきゃいけない作品も多々(特に短編)。

12月1冊目も辻村作品「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」からスタートする予定。楽しみ!

 

*

 

11月は数年ぶりに平野啓一郎も読んだ。

 

平野啓一郎作品は、マチネの終わりに が文庫化された頃に、マチネ、高瀬舟、空白を満たしなさい を読んで、その後は時々メルマガを読むくらいだったけれど、映画「あの男」が公開されて、Twitterの読書アカウントの間でも読了ツイートを度々目にしていたので読んでみた。

 

マチネでも「過去は変えられるのか」というのがテーマになっていたけれど、「あの男」はそれがより一層前面に出た作品だったように思う。過去とアイデンティティの一致という点は、マチネとちがった視点のテーマかな。

 

今を変えることで過去も変わるという平野啓一郎の考え方が私は好き。

過去に起こった事実は変わらなくても、今の自分の心・環境が変わることで、過去が暗いものから明るいものに変わったり、いい思い出に上書きされたり。

今を変えることで未来だけでなく過去もhappyに変えられる。過去-現在-未来 どの時空も自分の力で幸せなものにできるっていいな。

 

そして、今の自分を作り上げているのはもちろん過去の自分なんだけど、「今の自分」それ自体が万人の前で一致しているわけではなくて、相手によって自分が出すキャラは自然と変わるから(平野啓一郎の分人の考え方と同じかも?)、同時に過去の自分のキャラも少なからず変えているんじゃないかと思う。

 

*

 

11月、とある方に困っていることを相談をしていたら、相談内容とは全然関係ない娘の育て方についてアドバイスをもらった。

 

「笑って育てなさい」

 

子どもは怒っても聞かない。どうして怒られたか内容を覚えてない。でも、笑われるのは恥ずかしい。恥ずかしさが理性になる。

だから、怒るときも笑いながら。笑い飛ばす。

ふだんも笑ってる。あなたは一生笑って生きなさい、と。

 

つい深刻に考えるクセと、30代前半のしんどかった時期が長かったことで、なかなかカラッと笑い飛ばせるタイプの明るい性格にはなれないんだけど、数日前から意識的にユルユル・ニコニコ生活を始めてみたら、娘以上に私が楽で、うまくことが運ぶ。

今までの自分を否定する気はないし、まじめに目の前のことを考えて頑張ってきたのはたしか。感情にまかせて怒ったりもしてこなかった。ただ少しやり方を変えただけ。

 

ついでに、服や持ち物を少しずつ明るいもの変えたり、眠っていたアクセサリーをひっぱり出してきたり、明るめカラーを増やし中。今まで服は黒紺白ばかり、バッグも黒ばかりだったから。

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これからどんな風に変わっていくんだろう。娘も私も。

月報(10月)

読書(山本文緒

10月、大学時代好きだった山本文緒作品を改めて集め始めた。再読本は、写真の7冊に加え、パイナップルの彼方、群青の夜の羽毛布、恋愛中毒、落花流水の計11冊。

紙婚式シュガーレス・ラブは11月に購入予定。

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10代から20代にかけて、誰かにわかりやすい形で愛されたくてたまらず、脳内恋愛自家中毒でくすぶり、周囲に自慢できそうな彼氏を作っては短期間で振り振られ、その裏で17歳から27歳まで関係の切れない縁も続き、うまく生きられないもどかしさを山本文緒作品の登場人物たちと共有した。

当時の私は「自分以外、みんな人生がうまくいっているように見える病」で、自分の中の小さな嘘、ズルさ、虚栄心、嫉妬、執着、欲求不満が自分の周囲の人たちの中にもあると思えないことが苦しかったのだが、山本文緒作品の中に文字として存在する生々しい感情描写に救われ、そして混沌とした負の感情を言葉でラベリングしてもらった。

 

かつて読んでいた作品を再度集め始めたきっかけは、「自転しながら公転する」の中央公論文芸賞受賞時の林真理子の講評文をネットで読んだこと。

https://www.chuko.co.jp/news/pdf/kouhyou_202110.pdf

久しぶりに読んだ山本文緒の長編「自転しながら公転する」は、40歳近くなってそれなりに周囲とうまく折り合いをつけながら生きてきた私に「自分がうまくいかないこと・自分の自信のなさを、他人に責任転嫁してないか」「大切な人にまっすぐ愛情を注げているか」という新たな課題を与え、その課題を授けたまま山本文緒先生は亡くなられてしまった。

東京から地方都市に出戻り、アパレル販売の契約社員として働く30代の主人公の女性が、体調を崩した親との同居生活の中で、結婚相手はこの人でよいのか、自分は将来どうなっていくのかと悩む日常を描いた同作。

主人公が後輩から「悩みの根本は自分が経済的に自立できていないこと」と指摘されるシーンは耳が痛い反面、経済的に自立していれば相手がどんな状況・どんな経歴であろうと人柄だけで相手を選ぶことができるという希望にもつながる。

主人公の交際相手が中卒元ヤン回転寿司勤務で、周囲から交際を反対されるシーンがある。

私の夫も似たような背景があり、高校は中退しているし、若気の至りで胸から肩腕にかけて巨大な龍が刻まれていて、なかったことにはできない過去になっている。

結婚を決めた当時私はシングルマザーで、細々とした生活の中で毎月の家賃生活費を支払い、娘を大学まで行かせられるだけの積立てをしていた。誰かに期待したり寄りかかって後で痛い目に遭うくらいならひとりで生きていこうと必死だった。そんな時期だったから、誰かのスペックや未来にもたれかかるつもりはなく、目の前の夫の心身の健康とストレートな愛情、言葉の裏を疑わずに一緒に居られる安心感、現実や行動だけで結婚を決めたように思う。

大学卒業以降、がむしゃらに働いたり出世をしたわけではなく、特別なスキルも身につけず、常に誰かに生活を守ってもらいながら事務職で働いてきた私は、主人公のようにある日この「悩みの根本は自分が経済的に自立できていないこと」という言葉を投げかけられたとして、果たして何ができたか、何を変えることができたかわからない。日常はそう簡単に変わらないし変えることは難しく、離婚により半ば強制的に経済的自立せざるを得なかった私にとって、主人公の周囲の声はかつての自分に向けられているようで、チクリとした針が胸の底に残った。

 

「自転しながら公転する」を読んだ後、山本文緒の最後の日記をまとめた「無人島のふたり」を購入した。普段は文庫本派だけど、この2冊はハードカバーで買った。

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亡くなる前の生活はご主人との愛にあふれていて、「落花流水」を読んだ後だから尚更ホッとするものではあったけれど、それでも大好きな作家の死はとても淋しい。

 

「自転しながら公転する」はおそらく私のバイブルであり、いつも戻ってくる原点、「無人島のふたり」は目指す未来になると思う。

色々な選択肢の中から選び取ってきた今の人生において、大切な人、自分が大切にできる範囲の人 娘と夫 を大切にしていくことが何より大切であることをこの2作品は思い出させてくれる。

時々自己顕示欲が顔を出し、見ず知らずの人からの賞賛やSNS上の評価や数字、手応え等がほしくなったり、誰かにアドバイスしている立場が羨ましく見えたり、仕事における業務の正確性だけでなく自分の価値を前に出したくなりそうになることがある。

そんな時は山本文緒の世界に戻って、届く範囲の人を大切にする心を思い出そうと思う。